盆踊り

正伝流空手道中村道場は、稲城市の平尾と言うところにあります。
この地域では、毎年盛大な盆踊り大会が開催されます。
なんと道場の横の公園でです。
ですから、道場では、太鼓の音が鳴り響く2日間でした。

bonobori


夏と言えば、花火、かき氷、プール、海、お盆でしょうか。
お盆と言えば、盆踊り。

盆踊りは、歴史的には500年も続いているそうです。
死者を弔う宗教的なものから始まり、男女の出会いの場となった時期もあったとのことです。
それらを経て、今の娯楽的なものへと変わってきたとのことです。

それは、さておき、道場の横で行われます盆踊り。
実は、一週間前からやぐらが組まれはじめ、誰や彼やが、
何かをされて今日の日となっておられました。

そして、最初から最後まで、太鼓の演奏が続けられております。
太鼓のリズム。
日本人の心の琴線に触れているのでしょうか、
心地よく感じますね。

もう、何十年も続いている行事だと思います。
そこに来ている子供達の笑顔。

この伝統を受け継いでいくのですね。

その前に自分達もがんばらねばなりませぬが・・・。

伝統と文化。
受け継がれていくものとそうでないものがあります。

そこには、古の叡智が沢山込められているのですね。

大切にしたいものですね。






七夕

明日の夜は、七夕です。
昔話の中には、現代に生きる訓示となること沢山ありますね。
インターネットで調べてみた七夕伝説をご紹介です。
今夜の七夕、子供達に話してあげてみては如何でしょうか。

〔七夕伝説〕

夜空に輝く天の川のほとりに、天帝の娘で織女と呼ばれるそれは美しい天女が住んで居ました。
織女は、天を支配している父天帝の言いつけをよく守り、毎日機織りに精を出していました。
織女の織る布はそれはみごとで、五色に光り輝き、
季節の移り変わりと共に色どりを変える不思議な錦です。
天帝は娘の働きぶりに感心していましたが、年頃の娘なのに
お化粧一つせず、恋をする暇もない娘を不憫に思い、
天の川の西に住んでいる働き者の牽牛という牛飼いの青年と結婚させることにしました。
こうして織女と牽牛の二人は、新しい生活を始めました。

しかし、結婚してからの織女は牽牛との暮しに夢中で毎日はしゃぎまわってばかり。
機織りをすっかり止めてしまったのです。
天帝も始めはこんな二人の様子を新婚だからと大目にみていましたが、
いつまでもそんな有様が続くと眉をひそめざるを得ません。
天帝はすっかり腹を立ててしまい、2人の所へ出向くと、
「織女よ、はたを織ることが天職であることを忘れてしまったのか。
心得違いをいつまでも放っておく訳にはいかない。
再び天の川の岸辺に戻って機織りに精を出しなさい」更に付け加えて...
「心を入れ替えて一生懸命仕事をするなら1年に1度、
7月7日の夜に牽牛と会うことを許してやろう」と申し渡しました。

織女は牽牛と離れて暮すのがとても辛く涙にくれるばかりでしたが、父天帝に背く事もできず、
牽牛に別れを告げると、うな垂れて天の川の東に帰って行きました。

それ以来、自分の行いを反省した織女は年に1度の牽牛との再会を励みに、
以前のように機織りに精を出すようになりました。
牽牛も勿論思いは同じ、働いて働いて...7月7日を待ちました。
こうして、牽牛と織女は互いの仕事に励みながら、指折り数えて7月7日の夜を ...

ところが、2人が待ち焦がれた7月7日に雨が降ると、
天の川の水かさが増して、織女は向こう岸に渡ることができなくなります。
川下に上弦の月がかかっていても、つれない月の舟人は織女を渡してはくれません。
2人は天の川の東と西の岸辺にたたずみ、
お互いに切ない思いを交しながら川面を眺めて涙を流すのでした。

7月7日に雨が降れば...そんな2人を見かね何処からともなくかささぎの群が飛んできて、
天の川で翼と翼を広げて橋となり、織女を牽牛のもとへ渡す手助けをしてくれるのだそうです。




こいのぼり

先のブログに帰省をしたことを書かせていただきました。
自分の田舎は、兵庫県の南の方にある姫路と言うところです。
姫路と言えば、姫路城が有名です。
これは、凄いお城です。
こちらに来るまでは、当たり前のように見ていたので何とも思わなかったのですが、離れてはじめて気が付きました。
また、世界遺産に登録されてからというもの、その周辺も、中々のものですよ。

その姫路駅より北西に上っていったところに、自分の実家があります。
周りは、山、山、田んぼというところです。
実家の裏の山を越えると、そこには、ライオンとか、トラなどのあらゆる動物がいます。
何と、何と、サファリパークがあるのです。
小学生のころ、熊が逃げただの、トラが・・・。
中学生の頃は、夜、そこへと続く坂道を友人達と走りこんでおりました。
なぜか、夜は、走っていたのです。
友人達4人ほどで。
たまには、誰かを田んぼに突き落としたりもしておりましたが、
楽しかったですね。
田舎には、どこでも、鍛える場所があったのです。

その田園風景に近い道を車に乗せてもらって走っていますと、
そこには巨大なこいのぼりが・・・。
気持ちの良い風を一杯に吸い込みながら泳ぐこいのぼり。
こちらの方では、中々、見ることが出来ないものですね。

そこで、こいのぼりの由来について調べてみました。
よろしければ、参考にしてみてください。

こいのぼりのごとく、自分らしく自分の人生を雄大に泳ぐように生きていけるといいですね。


こいのぼり


〔こいのぼり〕
毎年5月5日の端午の節句に、男子の健康と立身出世を願って家の内外に飾られる「鯉のぼり」は、中国の黄河上流にある竜門に泳ぎ登ることのできた鯉だけが、昇天して龍に化すると言う、登竜門伝説にそのる来があり、いわゆる鯉の滝登りの様子を形どったものといわれています。
 鯉のぼりが本格的につくられはじめたのは江戸時代後半といわれています。江戸時代の武家のあいだでは、家紋をしるした旗や幟、武具を端午の節句に飾る習慣がありました。しかしこのことは、一般の町民などには禁止されたいました。ところが、江戸時代も後半になると、町人たちは経済力をつけはじめ、これにつれて端午の節句を華やかに 祝うようになりました。この時期に、五月幟の先端に小旗の代わりに紙で作った鯉をとりつけるようになりました。やがて独立して鯉、吹流し、幟旗などがそれぞれたてられるようになりました。歌川広重の有名な「名所江戸百景」には、真鯉、吹流し、旗幟などが単独で立てられている様子が、富士山を背景に写生されています。
 明治時代になると真鯉と緋鯉が組んで飾られるようになり、吹流しも加わりました。いろとりどりのこいのぼりがつくられるようになったのは東京オリンピック以降といわれています。



法事

昨日は、PCのないところに宿泊をしておりました。
どんな田舎かと申しますと自分の実家です。
今時、PCのない世界があるのか・・・。
当然、あるのです。
しかし、犬はおります。
あまり、関係ない話ですが・・・。

日頃の生活を振り返ったとき、PCのない不自由さをわすれておりました。
当たり前のようにあるものが無い、不自由さ。
不便なものですね。

したがいまして、昨夜は、ブログを書くことが出来ずにおりました。
すみません。

今回の帰省は、母の13回忌のお墓参りのためです。
母は、キリスト教を信仰しておりましたので教会の方が2名きてくださっての法要となりました。
12年前に亡くなった母を偲ぶとともに、
「元気でがんばっている!」の報告ができたと思います。

日本の法事は、下記の通りですね。

1回忌
3回忌
7回忌
13回忌
17回忌
23回忌
27回忌
33回忌

それ以降は、次の二つを続けるところもあると聞きました。

37回忌
50回忌

この法事、なぜ、あるのでしょうか。
ずーっと考えたことがあります。

それは、日本の生活、文化が基盤にあります。
自分の場合は、母親です。
父は、今年で70歳になります。

おそらく、父には、33回忌は、遠いと思います。
次は、自分が引きついでいきたいと思っています。
ですが、ひょっとしたら、自分の娘にお願いすることになるかもしれませんね。
何が起こるか、わからないのが人生ですので。

法事をすると親戚が集まります。
また、故人の親しかった人が集まります。
それが、その世代、子供、孫の3代まで続くのです。
人の縁が故人が亡くなってからも、33年、50年と続くきっかけとなるのです。
これは、凄いことです。

日本の文化、生活様式は、家を繁栄させることに大変、重きをおいてきたところがあります。
家系、血縁をつないで、縁を深めていくのにこの法事というシステムは、非常に機能したと思います。

個人を思い、
家系を大切にする。

日本の生活様式、文化の中には、伝えていかなければならないことが沢山あります。
空手を学ぶ中で、日本の文化や生活様式の知恵に触れていく事は大切なことだと思っております。