ハンディキャップ

最近、思うことがあります。

世の中、すべての人が、健常者ではないということです。

道場には、いつも言いますが、色々な人がいます。

その中には、身体的なハンディキャツプを持っている方々もいます。
また、心に元気が無い人もいます。

ですが、一般の環境では、そのようなハンディキャップをもった人と
接する機会は少ないと思います。

全く無いという方の方が多いかもしれませんね。

先日、聾唖者のご両親を持たれた女性の方と話をしました。
自分と同じ年の女性の方ですので、おば様です。

補足させていただいておきます。
聾唖者とは、耳が聞こえなく、しゃべることができない人のことです。

その方は、ご両親と一緒に暮らすことなく施設で育ったとのことです。
理由は、その当時は、聾唖者の方々の社会的な地位は、低く、一生懸命に真面目に仕事をしても、家族を養っていくことができなかったので、仕方がなく、施設に預けられていたということです。
だから、両親が聾唖者なのに自分は、手話ができないと笑っておられました・・・。

とても、信じられない話でした。


海外では、ハンディキャップを持たれている方が、沢山、公の場、職場に居られます。
なぜならば、ハンディキャップをもたれていても、それはそれとして、社会の中でしっかりと受け入れられるものがあるからだと思うのです。

日本は、そういうところが物凄く遅れているだと思います。
昔よりは、随分と改善されているのでしょうが・・・。

健常者がハンディキャップをもたれた方々とお会いする機会があまり無いということ。

その逆に、ハンディキャップをもたれた方々が、健常者の方々の中に入ることには、かなりの勇気が必要であるということ。

お互いの壁であるような気がしております。

道場にいて、ハンディキャップを持った人も同じ様に稽古をしているのをみておりますと、
このようなことに対して、何なんだろうなぁ〜と考えてしまいます。

みんな同じなんだけどなぁ〜と考えてしまいます。

一生懸命に稽古をするということに対して変わりはないのです。

また、空手を楽しむということに関しても同様です。

人の個性には、かなりバラつきがありますが・・・。
このハンディキャップも、その中に納まってしまいます。

うまく、話をまとめることができませんが、
みんなが自立して、楽しく、生きていけること。

少年部の稽古をみておりますと
この子供達ならば、そんな社会を作れるんじゃないか思っております。

道場というものが、その礎の一つになれると良いですね。







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